チェコの歴史 中世その1
admin | 2010年6月8日
先ほど紹介した聖母マリアの教会を建立した場所に、 ポジペイの息子であるスピチフニェフ1世が城壁と宮殿を建築し、これが後のプラハ城の始まりとなりました。 スピチフニェフ1世はこのプラハ城にてボヘミア国の支配と統治を行いました。 そしてスピチフニェフ1世が死去した後は、ヴラチラフ1世、その妻であるドラホミラ、そしてその子であるヴァーツラフによってボヘミアは統治されていきました。 ヴァーツラフは西暦924年頃に王位を継承しており、彼もキリスト教を広めることに尽力をしたといわれています。 しかし935年に弟であるボレスラフと衝突をし、ヴァーツラフはボレスラフに暗殺されてしまいます。 しかしヴァーツラフは死後に列聖されるこになり、これ以降ヴァーツラフはチェコの国民の守護聖人として祀り上げられるようになりました。 暗殺されても死後に守護聖人として、国民に愛されるほどの君主としての能力の高さと人望の厚さが伺えますよね。 今でもチェコ国民の中ではヴァーツラフは守護聖人として愛されるほどの人気ぶりとなっています。 チェコの中世の歴史の中で、ヴァーツラフとボレスラフの兄弟は欠かすことが出来ないほど功績のある君主となっているのです。
