Admaxによる世間考察日記

社会を斜めかから観察します

チェコの歴史 中世その2

| 2010年7月30日

ヴァーツラフを暗殺したボレスラフはボヘミア国家をより教護にす るために国に大いに貢献をする功績を残しています。 世界史にしても日本史にしても暗殺をした支配者というのは無能であったり、最後は哀れなケースが多いのですが、ボレスラフは例外となっており、君主として高い能力を持っていたのでしょう。 ボレスラフもキリスト教に大いに貢献をしており、プラハに司教区が作られ、西暦993年にはブジェヴノフ修道院を興したヴォイチェフが司教区の責任者となりました。 ヴォイチェフは国民と協会の関係を強固にするべく、ハンガリー地方や近隣国家であるポーランドにも出向きキリスト教の布教をしています。 ボヘミアは1212年までは公国だったのですが、神聖ローマ帝国の皇帝であったフリードリッヒ二世への交渉によって公国から王国へと格上げされることを認められたのです。 王国に格上げされるということは王位継承の保証が行われるということになり、国は安泰されるということです。 ボヘミア王国の初代国王はプシェミスル・オタカル1世です。 チェコの歴史、とりわけ中世においてはボヘミア王国というのは非常に重要となっているのは、この頃にチェコの文化が形成されたからだといわれています。 なおボヘミア王国のプシェミスル家による支配は1306年まで行われました。 しかし1306年にヴァーツラフ3世が死亡したことによって、跡継ぎが折らず、ルクセンブルク家に王国の主導権が渡りました。

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